妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日存(精進院・好学院)

にちぞん #2555

日存(精進院・好学院)

にちぞん

(一三六九-一四二一)
好学院日存は慶林房日隆の伯父で、日隆の「三七日忌法則」や「両山歴譜」より推測すると桃井将監の子、武の出身と見られる。
応安二年越中の生れ、桃井没落の頃に京都妙顕寺日霽の門に入り、日隆が訪ねた頃は既に学僧として一をなしていたことがわかる。
始め日選と称し、応永一二年(一四〇五)妙本寺月明の化儀・化法の乱れを責め、改めないので遂いに同志二〇余名と退出し、同二二年頃その写本奥書などから日存と改名したことがわかる。
またこの頃に日隆も日立から改め、叔父日(日純)も日道と改名している。
日存が史上に出るのは日隆が越中から上洛し、妙本寺日霽の門に入り伯父日存・叔父日道に師事した「両山歴譜」の記録による。
妙本寺の日存の学室で上洛した日隆は一八歳から二五歳まで学び、応永一二年妙本寺改革派の日存・日道について五条坊門の柳酒屋の像師堂に拠った後、南都北嶺に遊学しているが日存の指示であり、日存を中心とした像門正統法義の復興であった。
そのため真摯に当勝劣派の驍将越後本成寺日陣を尋ねたりした。
日存の法義研鑽の成果は後世日隆が「所得の法水を以て日隆の頂に潅ぐ、日隆彼の遺体をうけてしきりに仏法を興す」と述懐している。
妙本寺改革の初志達成のための日存の起請文などがある。
応永二八年三月二六日寂、五三歳。
本能寺勧請開基。
京妙蓮寺五世に勧請されている。
《『日本仏人名辞典』「日存」の項》

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