柳酒屋
柳酒屋
やなぎざかや
京都の商人(酒屋)で、日像が京都で弘通活動を始めた頃よりの檀越といわれる。
真如院日住(-一四八六)の『与中山浄光院書』では「其の時受持申して檀那に成り初め申し奉りし人は其の名を法実と申す也。
是柳の酒屋の先祖也」とされ、中世末に成ったとされる『日像門家分散由来記』では「其の時御近所に呉長興と申す酒屋御檀那罷り在り」として、この呉長興が檀那の初めであるという。
また『龍華秘書』では「下京四条西洞院柳酒屋と申す者とに受法始め也」としている。
日像当時の柳酒屋の規模は判断しがたいものの、応永三二-三年(一四二五-二六)頃の柳酒屋は別名中興酒屋と呼ばれ、京都及びその近在の全酒造量の約一〇分の一を産していたといわれる。
日像は妙顕寺を創立し、大覚・朗源と法灯が継承された。
しかし通源の代、嘉慶元年(一三八七)に比叡山衆徒によって破却され、妙本寺と寺号を変えた。
更に月明の代にも応永二〇年に破却されたが、この時、柳酒屋を始めとする人々が資金を出して再興したという。
《『国史大辞典』一四巻「柳酒」の項》