日善(大法阿闍梨・身延久遠寺)
日善(大法阿闍梨・身延久遠寺)
にちぜん
(一二七五-一三四六)
身延四世、安中山大法寺開山。
大法阿闍梨と称す。
小田原北条義澄の嫡孫浜名次郎光成の長男という。
『本化別頭仏祖統紀』では身延三世日進(一二七一-一三四六)の肉弟としており『身延山史』も日進と兄弟だとしている。
堀之内妙法寺蔵『金綱集』の奥書に「建武三丙子年日進法門付嘱弟子日善与之」とあって、日進から日善への身延法脈の付嘱は建武三年(一三三六)だとしている。
しかし日善は在位わずかに二ヵ年、元弘二年(一三三二)九月二二日、七〇歳で遷化または貞和二年(一三四六)七六歳で示寂したという(『本化別頭仏祖統紀』)。
古来、日善の没年は不詳とされているが、いま久遠寺蔵『金綱集』二帖の巻七「心性宗」の奥書には「元徳太才辛末三年於鎌倉名越清書畢」と見え、また巻一一「法華経之事」の奥書には「嘉暦四太才己已二月五日戍尅計書写畢」と見え、或は日善筆曼荼羅の中に「建武三年太歳丙子二月七日時正中日・日祥法師授与之也」との為書のものが収蔵されている。
こうした奥書を依りどころとして建武三年中に身延四世貫首に晋み、在位二ヵ年にして退蔵したのではないか。
伝えるところでは、後職を建武四年九月、波木井家三代南部長氏の次子、春乙丸(一七歳〈日台〉)に譲ったという。
日善が後職を譲った理由には、(一)南部波木井長氏の態度が不遜であって日善は快しとしなかったか、(二)地頭長氏の圧力が日善に及んだのか、(三)日善が世俗権力の下で別当(久遠寺貫首)職を全うすることを憚ったか、ともかく在位二ヵ年で退蔵したのである。
相州小田原蓮昌寺三世、安中山大法寺開山、碑文谷法華寺二世を経て同寺において示寂したという。
《『本化別頭仏祖統紀』、『身延山史』、『日蓮教団全史』上、『身延山略譜』、『日本仏教人名辞典』「日善」の項》