妙法寺(東京都杉並区)
妙法寺(東京都杉並区)
みょうほうじ
日蓮宗由緒寺院の一つ。
東京都杉並区に所在。
日円山と称す。堀之内妙法寺と呼ばれることが多い。
寺伝によれば、その創立は元和四年(一六一八)で、それまで真言宗であったが、覚仙日逕が日蓮宗に改宗し、母妙仙日円を開山、自ら二世となり碑文谷法華寺末となって寺号を妙法寺と改めたという。
元禄十一年(一六九八)幕府の不受不施悲田派禁圧によって碑文谷法華寺は天台宗に改宗させられ、本尊日朗御作と伝える除厄祖師像は妙法寺に奉遷された。
翌一二年妙法寺は身延山久遠寺末となり、それを契機とするかのように「堀の内のお祖師さま」として、厄除け開運・病気平癒祈願を性格とする信仰を喚起した。
寛政のころには江戸庶民の爆発的信仰現象を誘発して、関東屈指の法華霊場となり寛政七年(一七九五)身延山から永聖跡の寺格指定をうけた。
当時、教線の拡張・伽藍の整備に活躍した一八世日観は信徒群参の情景を「遠近の道俗、自他宗の差別なく、貴賤とも渇仰するところ」と記述している。
妙法寺所蔵の記録によって信徒の地域的分布を見れば、文化元年(一八〇四)から文政二年(一八一九)までの千部会寄進を内容とする千部勧募帳によると、御府内・江戸近郊はいうまでもなく、東は市川・行徳・木更津・松戸・流山、西は八王子、南は小田原、北は与野・鴻巣・岩槻・桐生と広がっている。
講中の数は安永二年(一七七三)一五、寛政七年八五、文政四年同、天保二年(一八三一)九五をかぞえる。
密度を見ると、日本橋・深川・牛込四講中、神田・芝では三講中となっている。
年間開帳数では、文化期一五〇〇-二四〇〇、文政期二七〇〇-二九〇〇、天保期二八○○-三六〇〇、弘化・文久期四〇〇〇以上と上昇を示し現在に及んでいる。
建造物のうち、文化九年建立の祖師堂、天明七年(一七八七)の二王門、文化一〇年の書院(お成の間)は都重宝、明治一一年(一八七八)の鉄門は国の重要文化財となっている。
《『国史大辞典』一三巻「妙法寺(東京)」の項》