妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙了寺(山梨県南アルプス市)

みょようりようじ #1442

妙了寺(山梨県南アルプス市)

みょようりようじ

山梨県南アルプス市に所在。
高峯山と号す。
近世初頭頃より、甲斐(山梨県)における身延山久遠寺の触頭の一つで、甲府遠光寺、加賀美中条長遠寺とともに、「くに三が寺」と称され、甲斐を三分して支配していた。
末寺二六ヵ寺、触下六六ヵ寺を配下に、朱印地三石六斗、境内一万五〇〇〇坪を領す。
古くは、真言宗妙竜寺であったと伝え、同町中野法久寺に、改宗以前の本尊という木造薬師如来座像(藤原末期の作)が残されている。
開山は、中道院日了で、日了の母妙了日尼による改宗である。
本化別頭仏祖統紀』によると、日了は、相股村(現在の身延町相又)の生れ。
文永十一年(一二七四)日蓮聖人身延入山の途中帰依した日仏尼は、身延に下之坊を営んで聖人に、日夜奉仕した。
そして弘安元年(一二七八)日尼は難産に苦しみ、聖人に救いを求めたところ、翌年正月、無に男子が誕生した。
聖人は、この子に是好麻呂と名づけ、母子ともに慈んだという。
弘安五年、聖人の示寂を悲しんだ日仏尼は、故郷中野村に帰り、是好麻呂も入道して中道院日了と名乗って、母とともに廃寺妙竜寺を復興し、さらに妙行寺・法久寺を興すなど、法華信仰を広めた。
日了は、正慶元年(一三三二)八月七日、五五歳にて寂。
妙了寺は、二世日勢の代、上市之瀬の現在地に移され、荘大な伽藍が営まれた。
また、古くから身延山末寺としての関係にあり、第八世善学日鏡が天文一三年(一五四四)身延山一四世として晋山したのをはじめ、身延五五世潮文院日逞・六一世智了院日心らも、妙了寺歴世である。
妙了寺文書『正四歳丙子南呂尚六日一山之僉議』に、「身延山より、甲斐、駿河、信濃の諸末寺に対し、十月の祖忌に臨み、百里以内は毎年、遠方は三年に一度、参詣をすべき事。」という触書があり、身延山との関係を示し、また、身延山のこの時期における線の範囲、団掌握に対する姿勢が伺える。
当寺はまた、聖人への日仏尼の帰依による安産祈願の寺としても名高い。

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