大阪百部経布教
大阪百部経布教
おおさかひゃくぶきょうふきょう
伝承によれば、この布教は古く延宝年間(一六七三-八一)には行われていたという。
天下泰平、五穀豊饒の祈祷を意趣とする慚読百部経と称する法要の後で開説される布教を指していう。
別に「浪華百座説法」とも呼んでいる。
早期の頃は二五ヵ寺で勤めていたが、慚次加盟寺院が増え、昭和年代の日割表によれば、最も多い年で三七ヵ寺がこの百部経会を勤め、布教を行っている。
毎年五月三、四日頃から始まり、月末二日間を休み、六月一〇日、一一日頃終了したが、最も多い年で国祷会、戒名供養等を入れて四一日間である。
一ヵ寺で懺法会(せんぽうえ)等を入れて二回勤める寺もあり、従って寺院数と日数はあわないことになる。
毎日午前一一時に法要開始、午後二時終了。
ただちに布教師は登高座して午後四時頃まで二時間にわたる広長舌をふるった。
説教聴聞者は数十名の常連を生み、そのうちから高座前と称するグループができて、布教師のとりもちすべてをつとめた。
常連のうちには全期皆勤する者も多く、これらの人々には布教師から御本尊等の記念品が授与された。
百部経説教志願の布教師は、それぞれの縁故寺院を通じて申込み、その布教師について、毎年一月一五日に開催される大阪寺院新年総会の席で投票を行い、最高点の師を選定した。
情実等は全く行われず、総会で決定された説教師は、名実共に日本一流の布教師としての名誉を認められた。
このように全国一流の布教師による説法であったが故に、その内容は相当に高級なものであり、かつ洗練された弁説によって聴聞者に多大の感銘を与え、信仰心の涵養は遺憾なく行われた。
第二次世界大戦が苛烈の度を加えると共に、この百部経会も次第にその規模の縮小を余儀なくされ、ついに昭和一九年(一九四四)をもって、連綿二七〇年以上続いた有名な大阪百部経布教も終末をみるに至った。
現在は五月中にその寺の年中行事として、百部経の名のもとに勤めている寺院が数ヵ寺ある。