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国策協力

こくさくきょうりょく #1203

国策協力

こくさくきょうりょく

昭和二〇年(一九四五)第二次世界大戦終結まで、全宗教教団は国家統制のもとで、アジア植民地化の戦争遂行を至上目的とする軍国主義体制への協方を強制されたが、教団側からも、「植民地布教」「思想善導」「聖戦」完遂に進んで協力する動きが顕著であった。
〔植民地布教〕=日蓮宗はとくに朝鮮開教に力を注ぎ、明治一四年(一八八一)渡辺日運の釜山開教を端緒に、日清戦争には従軍僧を派遣し、明治三一年に京城護国寺を建立、同四三年佐野宗務総監の朝鮮視察、日韓併合翌四四年には朝鮮開教本部を設置して積極的布教を行った。 また満蒙布教では勅額奉戴を契機に国策協力の姿勢を強化し、満州事変翌年の昭和七年(一九三二)満州教線拡大の管長教旨を発して布教に努め、一二年には立正大学に満鮮講座を開設(のち興亜科に発展)布教と共に宣撫工作に協カする姿勢をととのえた。
〔思想善導〕=幸徳秋水らが処刑されたいわゆる大逆事件(明治四三年)を契機とした三教者会(同四五年)への参加を皮切りに、本多日生・脇田堯淳らによる天晴会、田中智学の国柱会等、門下のいわゆる日蓮主義運動の影響も加わって社会主義排斥・国家主義宣揚の教化活動を展開、昭和三年の三・一五事件に際しては番外諭達を発して「大逆思想根滅」を訴え、昭和七年勅額拝戴聖旨奉答の法国冥合運動から、一二年以降における体宣揚「唯物無間・自由天魔・共産亡・利己賊」の思想戦を呼号する民精神総動員立正報運動へと継承していった。 この中で田中智学の影響を強く受けた国体明徴論が強まり、その帰するところ、清水梁山の天皇本尊説や高佐貫長らの皇道仏教行道会等を生み出すにいたった。
聖戦完遂への協力、日清戦争に始まる従軍僧派遣は、日露戦争・満州事変・第二次世界大戦には臨時報国義会を設けて皇軍慰問・軍隊布教・宣撫工作を行うなどの本格的協力となり、更に軍器献納運動を行って陸・海軍に各三の航空を送った。
昭和一六年、宗教団体法によって日蓮宗・本門宗・顕本法華宗三派合同が行われたが、これも政府の宗教統制政策に出たものであると同時に、明治末年以来の国策協力の門下統合運動の帰結でもあった。

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