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俗諦常住

ぞくたいじょうじゅう #622

俗諦常住

ぞくたいじょうじゅう

俗諦とは世俗の説や現象をいい、世諦・世俗諦ともいう。
真諦の反対語。
真諦とは法性真如を指すから、不生不滅であるが、俗諦は元来は生滅変化の存在である。
これを真俗不二の円教の立場に立って俗諦を重視するとき、俗諦常住という。
天台大師は『法華玄義』二下で境妙の二諦義を述べるとき「円教の二諦とは直ちに不思議の二諦を説く也。真即是俗、俗即是真なり」とて真俗不二に言及し、伝教大師は常に円仁に次のように誡していたという。
誡して曰く、吾常に二諦不生不滅の旨を弘伝す。而るに世人偏に真諦不生滅の義を信じてまだ世諦不生滅の理を解せず。汝此義を以て世に流伝して円教を弘通し、有情を利益せよと」(『慈党大師伝』)と。
従って円仁は法華と『金剛頂経』との理同を説くのに「法華に是法住法位(世間相常住)と云ふ、今正しく此の秘密の理を顕説す。故に金剛頂と云ふ也」(『金剛頂経疏』釈経名段)とて、方便品の「是法住法位世間相常住」の理を顕説したのが『金剛頂経』であるといい、『蘇悉地経疏』では「世俗勝義円融不二、是を密と為す」(請問品第一釈)とて真俗不二を同の由とす。
かくて日本台では俗諦常住を重要な論義の一項目として立てた(『台宗二百題』)が、日蓮聖人は特に俗諦常住のことには言及しないが、その事の法門には俗諦常住も含まれる。
例えば『開目抄』の本因本果の法門で「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて」(定五五二頁)とて無始の九界といわれるところは俗諦常住をば本果開顕によって認められたところである。
《『遺文辞典』教学篇「俗諦常住」の項》

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