鎮西身延
鎮西身延
ちんぜいみのぶ
福岡県うきは市に所在、鎮西身延山本仏寺と号す。
明治初年、新居日薩を中心とする宗門改革に当り、九州全域を一教区とした際、同一四年(一八八一)中洲日振(当時池上本門寺貫主)がその中心霊場として筑後、流川に本仏寺を創立した。
時に身延山第七三世新居日薩、同七四世吉川目鑑は身延別院創立の功により日蓮聖人御真骨三粒を日振に分与した。
更に日鑑は九州巡化の折、日振の熱誠に感じて「鎮西身延」の四大額字を揮毫して与えた。
以後本仏寺を鎮西身延山と公称することを許された。
因みに博多東公園日蓮聖人御銅像は二世佐野前励の建立になるものである。
以来、佐野前光、佐野前堯など佐野家が継承、三万二千坪に拡張された境内に一一もの堂宇を構える。
殊に佐野前暁(後に福岡県日蓮聖人銅像護持教会主管)は平成一一年・一二年さらに同一七年からは五年続けて中山荒行堂の正伝師をつとめ、礼節と読誦行を重んじ、幾多の日蓮宗修法師を輩出した。
《『身延山史』》