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迹門読不論

しゃくもんどくふろん #4940

迹門読不論

しゃくもんどくふろん

法華経二八品中、方便品を中心とする前一四品を本門の立場から読誦不要と主張する説。
日蓮聖人滅後一九年に天目(-一三〇八)が初めて本迹勝劣を主張した。
目は日昭・日朗・日向・日興の四老が天台ずりで、「近迹に執して遠本を失」っていると破し、本門正宗の一品二半の文によって迹門不読を主張した。 つまり、寿量品を中心とする本門一四品を所依の経とし、前迹門一四品は「本門真実の極円に入らしめんが為の方便」と解し、迹門をも爾前の権経と同一にみなしている。 目は当時の方便寿量品読誦に対し、涌出・寿量品の読誦を提唱し、方便不読を主張して、日向との答を交した。
この問題は日興滅後もなく、日興門下でも再び論議された。 本六の一人である日仙(一二六二-一三五七)と新六の一人日代(一二九四-一三九四)との仙代問答がそれである。 大石寺上蓮開基の日仙と重須に住する日代との間で建武元年(一三三四)正月、上蓮において義を論じた。 日仙は迹門不読論の立場を主張した。 結果的には双方に勝利の記録が残されてはいるが、この問答を契として、日代は重須を擯出せられて西山へ移って本門寺を創し、日仙も上蓮坊を離れて香川県へ下り本門寺を創した。
新六の石山系日道(一二八三-一三四一)は、仙代問答を批評して、日代を本迹一致の迷乱であるとし、日仙を目与同と破斥して、自らは施開廃共に迹は捨てるべきものであるが、所破のためにはこれを読むと主張している。
こうした迹門読不論を契機として、本迹論顕本論が種々に解釈され、団の分派の要因ともなったのである。

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