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京極持清

きょうごくもちきよ #478

京極持清

きょうごくもちきよ

(一四〇九-七二)
室町幕府の武将で、室町幕府管領細川勝元、関白近衛政らと共に日蓮宗の有力な信者の一人。
永享一一年(一四三九)の永享の乱には、関東管領足利持氏追討のため、近江・出雲・隠岐・飛騨の軍勢を率いて出陣
嘉吉元年(一四四一)赤松満祐親子が将軍足利義教を誘殺(嘉吉の乱)したには京都を警固し、また播磨に満祐を追討して戦功をあげた。
同年九月、幕府の命によって山名持豊に代って侍所別当に補任された。
応仁元年(一四六七)に起った応仁の乱には、細川勝元に味方して出陣し、六角定頼の兵を近江観音寺城に破るなど戦功をあげた。
寛正六年(一四六五)一〇月、本覚寺日住が『妙法治世集』を将軍義政に献上すると、比叡山衆徒が本宗の諸寺を破却し、宗徒を洛外に追放しようとした。 この、日住に深く帰依していた持清は、山門との間にたって種々に調停してまわり、功を奏してなきをえた。
宝生寺月桂生観と諡号された。
《『史大辞典』四巻「京極持清」の項》

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