潮師法縁
潮師法縁
ちょうしほうえん
六牙院日潮(一六七四-一七四八)を縁祖とする法縁。
飯高檀林三谷の一つである松和田谷に、日潮の学徳を慕う学徒によって形成された。
縁祖日潮は、草山の慧明院日燈について出家。
のち智寂院日省に師事し、京都松ケ崎檀林に学ぶ。
一八歳の時、入洛中の身延山三一世一円院日脱に会い、何れの法縁かと問われ、省師法類と答えたところ、省師法類に人物ありやと問われ、その人なきを恥じたという。
翌年、飯高檀林に入り学問に励み、三五歳で上座に昇り、翌年には京都松ヶ崎檀林に帰って『法華文句』を講じ、更に三七歳で仙台孝勝寺に晋んだ。
享保五年(一七二〇)には飯高檀林化主となり、元文元年(一七三六)六三歳にして身延山三六世貫主となる。
在職九年にして、延享元年(一七四四)弟子の薩心院日寛に三七世の法灯を譲って退山した。
日潮の門下は非常に多く、直弟子一〇人(海旭日宗・海印日信・海直日正・海本日仁・海重日玄・海田日耕・海乗日漿・海実日真・海仁日徳・海沢日広)、門下一〇〇名といわれる。
日潮の学徳を慕うこれら多くの門下によって、飯高檀林松和田谷に形成された一大学系である潮師法縁は、小湊誕生寺・佐渡根本寺・仙台孝勝寺を法縁所属の縁寺とし、同じ松和田谷の通師法類、また中台谷の脱師法類と共に、身延山久遠寺を出世寺として、本山住持権を確保し、一大勢力を持つに至った。
《影山堯雄『諸檀林並親師法縁』》