法華経寺法華堂
法華経寺法華堂
ほけきょうじほっけどう
千葉県市川市法華経寺にある。
国指定重要文化財(一九一六・五・二四)。
正面五間側面四間、組物平三斗(ひらみつど)、中備間斗朿。
ただし側面第一間中備組物、二軒繁垂木(しげたるき)、入母屋造、妻虹梁大瓶朿(たいへいづか)、瓦棒銅板葺。
日蓮宗仏堂、正面一間通り外陣虹梁を架し棹縁(さおぶち)天井、内陣格天井、中央折上げ。
室町時代のもの。
昭和一〇年(一九三五)解体修理。
因みに「法華堂」の呼称は平安時代後期から鎌倉時代にかけて上流社会の墳墓標識の一つとして行われたもので、「法華三昧堂」また単に「三昧堂」ともいわれ、小堂を設けて遺骨を蔵し、時としては遺族遺臣もここに誦経供養したもので、後一条天皇のために「三昧堂」を建てたのが歴史に見える天皇法華堂の初めである。
藤原氏がその家の墓地がある木幡山の山脚に三昧堂を設けていたことは『中右記』に見え『本朝文粋』『栄花物語』等によれば道長もその堂において三昧を修したとある。
藤原三代の墓堂である平泉の金色堂などもその代表的なものであるが、かかる法華堂の建立は室町時代に入って絶え、足利将軍にはその例を見ない。
後小松天皇より後陽成天皇に至る七帝が深草の法華堂に埋葬されているのは、当時まだ法華堂による埋葬の風習があったことを物語るものではなく、皇室が新たに御陵を設ける経済的余裕がなかったので、持明院統の祖である後深草天皇の法華堂に併せ埋葬したものと解される。
法華経寺法華堂は、いわゆる後代の「法華堂」であり、即ち「念仏堂」と対比され法華講衆の集まる所の意と解せられる。