求法院檀林
求法院檀林
ぐほういんだんりん
六条檀林とも称す。
関西(京都)六檀林の一つ。
天正一九年(一五九一)一如院日重によって京都本国寺内に開講。
なお本檀林の前身は「本国寺学道」で、これは寂照院日乾を中心に妙顕寺、立本寺等の寺内僧徒を集めて天台学を講習していたという。
その後、天正一九年本国寺の僧衆、当山第一六世究竟院日禛の資助によって、本国寺境内に学室を設けて「求法講院」(のちに求法院檀林)と称し、京都本満寺の一如院日重を屈請した。
時に日重四三歳で、直弟寂照院日乾を本満寺の主職ならしめ求法講院の第一世講主となる。
日重まず玄義の講を開き、たちまち多くの学徒が来聴したという。
ここにあること前後一〇年、慶長五年(一六〇〇)五二歳、講務を惟雲院日雄に譲って本満寺に帰り、一庵を結んで専ら著述を事とした。
当檀第二世日雄のとき、学徒次第にその数が増え、さらに衆寮を増築。
しかし土地が狭小のため全ての学徒を収容し、またその講を聞かせること不可能の状態となり、日雄は求法講院を本妙院日鋭に託し、相州(相模)猿畠法性寺に退き、ここに講堂、衆寮を設けて開講。
両檀林ともに諸国の学徒を指導したが、これを本国寺の二談所といったという。
降って天明八年(一七八八)、当役板頭顗碩、本国寺第三四世唯妙院日脱のとき、洛中の大火に遭遇して本国寺と共に当檀もまた烏有に帰し、その後再建されたが、明治六年(一八七三)学制革新とともに廃檀となる。
講堂は移されて伏見墨染寺本堂となる。
《影山堯雄・関観朗・井上恵宏『諸檀林並親師法縁』》