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求法院檀林

ぐほういんだんりん #3723

求法院檀林

ぐほういんだんりん

六条檀林とも称す。
関西(京都)六檀林の一つ。
正一九年(一五九一)一如院日重によって京都本寺内に開
なお本檀林の前身は「本国寺学道」で、これは寂照院日乾を中心に妙顕寺、立本寺等の寺内僧徒を集めて台学を習していたという。
その後、正一九年本寺の僧衆、当山第一六世究竟院日禛の資助によって、本国寺境内に学室を設けて「求法講院」(のちに求法院檀林)と称し、京都本満寺の一如院日重を屈請した。
に日重四三歳で、直弟寂照院日乾を本満寺の主職ならしめ求法院の第一世主となる。
日重まず玄義のを開き、たちまち多くの学徒が来聴したという。
ここにあること前後一〇年、慶長五年(一六〇〇)五二歳、務を惟雲院日雄に譲って本満寺に帰り、一庵を結んで専ら著述をとした。
当檀第二世日雄のとき、学徒次第にその数が増え、さらに衆寮を増築。
しかし土地が狭小のため全ての学徒を収容し、またそのを聞かせること不可能の状態となり、日雄は求法院を本妙院日鋭にし、相州(相模)猿畠法性寺に退き、ここに堂、衆寮を設けて開
檀林ともに諸国の学徒を指導したが、これを本国寺の二談所といったという。
降って明八年(一七八八)、当役板頭顗碩、本寺第三四世唯妙院日脱のとき、洛中の大火に遭遇して本寺と共に当檀もまた烏有に帰し、その後再建されたが、明治六年(一八七三)学制革新とともに廃檀となる。
堂は移されて伏見墨染寺本堂となる。
《影山堯雄・関観朗・井上恵宏『諸檀林並親師法縁』》

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