妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

止観独朗

しかんどくろう #3655

止観独朗

しかんどくろう

止観真独朗(てんしんどくろう)であるということ。
真独朗の止観最澄が入唐して道邃から受けた口伝相承「一言の一心三観」をいうのであるが、元来は天真独朗は智顗が『摩訶止観』巻第一に「法門浩妙なり。 真独朗とやせん。 藍よりして而も青しとせん」と説き、湛然はこれを「天真独朗とは(略)理非造作の故に天真と曰い、証知円明の故に独朗と云う」(『弘決』)とて、智顗の止観は師の相伝にもよるが智顗の天性にもよると智顗を讃嘆した章安の言葉である。
これが日本中古天台にくると、凡夫の日常の行いがそのまま仏、止観のさとり(煩悩即菩提)と強調されて天真独朗止観がたてられる。従って法華をこえた本迹未分の止観、無作の観心である。
日蓮聖人遺文『立正観抄』に「天台至極の法門は法華本迹未分の処に無念の止観を立て最秘の大法とすと云える邪義、大なる僻見也」(定八四九頁、日進写本)、『十八円満鈔』には「所詮末法に入って天真独朗の法門無益」(定二一四三頁)とあり、止観独朗法門を否定している。

← 事典トップ