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本能寺法度

ほんのうじはっと #3448

本能寺法度

ほんのうじはっと

京都本能寺・尼崎本興寺僧俗の守るべき禁制、掟のこと。
最も早いものは、本能寺の開山慶林日隆が没する前年の寛正四年(一四六三)五月一三日に制定した本能寺法度七ヵ条である。
両山式目ともいう。
本法度は第一条に「都鄙の両寺(本能寺・本興寺)に於ては尽未来際本末の諍無く両輪比翼の謂成るべき事」とし、本能・本興両寺一寺と定めて、日隆門派の本寺とし、第二条には「本能寺貫主職に於ては本興寺として成敗致し世出世の贔負無く学匠の器用の志の人を選び付属すべき」とし、本能寺貫首は本興寺貫首を選ぶことを定めた。
更に第六条には「闘諍を企て刀杖を帯る衆徒に於ては贔負偏頗無く交衆を放つべき」を定め、僧の武装を厳禁している。
この日隆制定の法は本能・本興両寺の基幹となったものである。
次いで日隆滅後八年目の文明三年(一四七一)一一月三日、本能寺三世日明、同四世日与は連名をもって、当門流尽未来際法七ヵ条を制定する。
本法度は両本寺々務職、諸末寺住持職、入寺昇進、説法者座配、諸末寺住持の本寺参詣等を定めたもので、内容はより具体化する。
ただし先に日隆が制定した刀杖執持の者をする条目を削除している。
これは当の一般情勢が日隆の法のままでは取押さえることができず、これを改めたものであろうと考えられ、また同に本能寺も武装化の波にのせられていったことを示すものである。
更に天文法難により京都を追放された日蓮宗が、帰洛の勅許を得た翌月の天文一一年(一五四二)一二月三日、日侶が本能寺法度一九条を制定、また永禄の規約後の永禄一〇年(一五六七)八月一三日、日承は本能寺法度三ヵ条を制定し、それぞれ法を守るべきことを厳しく定めている。
《『宗全』第二〇巻、『日蓮団全史』上》

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