妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日蓮宗布教院

にちれんしゅうふきょういん #2985

日蓮宗布教院

にちれんしゅうふきょういん

日蓮宗布教院は、布教に必要な行儀技術を体得錬麿するための関である。
明治四二年(一九〇九)八月第一七代管長梨羽日鐶の代に、京都市下京区大本山本圀寺において初めて開設され、本圀寺第四八世旭日苗が初代の院長に就任した。
修行期は五〇日と定められ、言説布教の中、先師がようやく築きあげた本宗独特の高座説教を中心に研修が積まれ、年をおうごとに大いに盛んとなり、他宗派に見られない布教方法、布教内容、要領、態、等々が大いに研鑽された。
その後、林鳳宣(一八六三-一九三一・名古屋市法華寺住職)、堀智珠(一八七五-一九七〇・岐阜市妙照寺住職)、塩出孝潤(一八七七-一九四二・熊本市本妙寺住職)、宮崎玄養(一八七七-一九五六・岡山市妙勝寺住職)等宗門の高座説教における有名なる人達が代々院長を勤め、布教院の伝統が力強く継承された。
これがため明治・大正・昭和にかけこの布教院修了生の中から優秀な布教師が陸続と輩出した。
布教院も第二次世界大戦のため、不本意ながら諸般の情により数年中断することになった。
戦後宗門の中において布教院復活の気運が盛り上り、昭和二二年(一九四七)一〇月一〇日-二四日静岡県三島市玉沢妙法華寺において小池政恩を院長に、伊藤海聞を主任講師として、戦後第一回布教院が開設された。
この布教院が再開された事を機会に、布教資料誌『玉成』が発刊され、『布教院々報』と共に全国の布教師に大いに重宝された。
昭和五三年第三二回まで、戦後の布教院修了生のみでも一〇五二名を数え、この間、視聴覚布教街頭布教、法話、高座説教と布教万般に亙り研修を行なったが特に法話、高座説教に重点を置いた。
布教院の開設場所は北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、九州と各地方の要請に従って、殆ど毎年依所を変えて行われていたが、日蓮宗本山会、近畿教区全宗務所長の要望等もあって、昭和五二年三月第三七宗会において「布教院は、京都市本圀寺内に開設する。 但しその他の場所に開設することができる」と、日蓮宗規程中、布教師養成規程が改正された。
これによって布教院を要望によっては地方で開設することもできるが、本来は本圀寺での開設を基本とする。開設期は二週以上である。

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