日祐(寿量院)
日祐(寿量院)
にちゆう
(一六一〇-六四)
字は玄首、寿量院と号す。摂州浪華(大阪府)の生れで雲雷寺で出家し、のち心性院日遠に師事した。
日遠の命により飯高檀林に学ぶこと二〇余年、その名称は天下に聞え、当時、飯高一二世化主であった円是院日耀に大いに認められた。
鶏冠井檀林を起した通妙院日祥は日祐の学識を聞き、それを試そうとして来たり、以後、道交を厚くした。
日祐は飯高の玄義の講主となったが、慶安元年(一六四八)日耀が興栄両山に一八世として晋山したので、次の飯高化主を衆議して三九歳の日祐と決した。
古今、玄義講主が他山を経ずにそのままその檀林化主となった例は日祐一人と記されている。
承応三年(一六五四)、下総真間山一六世となり、寛文四年(一六六四)五月三日、五五歳で寂した。
『玄祐記』『止観要義』『円頓章私記』などの著作がある。
曰く「初心の学者、博く書を読むこと勿れ、唯三大部を熟読せよ」と。
なお飯高化主・真間山主を経て両山二二世となった妙悟院日玄は日祐の弟子である。
《宮崎英修「池上三法類の祖日祐上人」『続・日蓮宗の人びと』、『日本仏教人名辞典』「日祐」の項》