日成(大泉坊)
日成(大泉坊)
にちじょう
(-一五六四)
大泉坊(房)と号す。
塚原山根本寺を興して自ら八世となる。
京都妙覚寺一五世本是院日護(一四三六-一五三二)の門人。
日成は日蓮聖人四難所、即ち伊東、小松原、竜口、塚原を巡拝して霊跡の興隆に努めた。
天文年間に佐渡へ渡島して塚原の地を訪ね、渺茫たる荒野の中から聖人謫居の旧跡である小屋を見出し、里人と計って天文二一年(一五五二)にそこへ地を構え、弘治二年(一五五六)祖師堂を創建したという。
塚原の霊跡護持に関しては、一谷の妙照寺や阿仏房の妙宣寺のそれとは異なり、日蓮聖人がこの地を離れてから二八〇年以上の星霜を経た後のことである。
従って、この間の史実や寺伝、謫居の地塚原の位置等についての確固たる資料も見られない。
『本化別頭仏祖統紀』には、日成を塚原の三世としているが、根本寺過去帳によれば、日蓮聖人、日朗、日善、日朝、日義、日行、日賀を挙げ、日成は八世に列せられている。
また日成は弟子日賀に法を付すとあるも過去帳の歴世順との相違がみられ、寂年についても永禄二年(一五五九)二月一日とあるが、過去帳では永禄七年三月一日となっている。
また日成の時一宇を創建し根本寺と称したとあるが、根本寺の呼称時期については寺の沿革をも併せて検討すべきところである。
《宮崎英修『日蓮宗徒群像』、『日本仏教人名辞典』「日成」の項》