日廷(尊賀院)
日廷(尊賀院)
にってい
(一六一三-八四)
京都妙覚寺第二六世。字は尊賀、のち字を院号とする。伏見宮邦房親王の第八王子。
京都本満寺智見院日暹の室に投じて出家し、飯高檀林に学んでいたが、日暹が身延山に晋むのに従い、西谷檀林に転学し、傍に結庵。のちこの趾は常住坊となったという。
医術をよくし、身延近村の窮民の治療を常とし尊敬を受ける。
八之宮疫病守護の師として村民の尊信が厚かった。
西谷本行坊には「八ノ宮」として奉祠された。
また同坊には「除疫本尊」が納められていた。
この「八ノ宮」とは法華経八巻奉請を表すといわれている(『身延山史』)。
のち妙覚寺に瑞世するが後水尾天皇にたびたび召されて法を説き、寵遇を受け御衣を賜わっている。
日廷はこれを法衣として天恩に報じたという。
晩年は鷹ケ峰に隠築し、貞享元年九月九日示寂す。
寿七二歳。
階級厳守、形式尊重の時代にあって、出自の高い日廷が朝廷、公武に弘通し効果をあげたことは特筆されるべきことである。
《『日本仏教人名辞典』「日廷」の項》