日合(筑前阿闍梨)
日合(筑前阿闍梨)
にちごう
(―一二九三)
筑前阿闍梨と号す。
日蓮聖人の直弟子にあたり、中老の一人として後世に知られる。
聖人の葬送の折にはその列に加わり「久遠寺番帳」によると、七月に伊賀公と共に聖人の墓所に奉仕することとなっている。
このように日合は日蓮聖人の弟子として、重要な役割を果たしていた。
永仁元年一〇月一一日に入寂したと伝える。
日合の略歴などについては、これを明らかにすることは困難である。
『本化別当仏祖統紀』は「北総野呂妙興寺開山日合上人伝」をあげて、恐らく野呂妙興寺(現在は千葉市野呂)の寺伝によると思われる所伝を載せている。
聖人の檀越として有名な曽谷教信の長子に、曽谷道崇なる人物があった。
道崇は父の志を継いで大いに外護の実をあげ、下総国千葉郡野呂に構えた館のそばに格好の地を得て、一寺を建立した。
日合はこの寺の開山として招かれ、妙興寺を開創したのである。日合はここを本拠にして伝道活動を展開したので、信者も急速に増していった。
やがて野呂の一村すべてがもとの信仰を捨てて、新たに日蓮宗の信者となった。
領主の道崇も信仰を怠ることなく、聖人に仏法をたずねては、教示の御書を賜わっている。
御遺文の中の「曽谷入道」に宛てられたものの多くはこの曽谷道崇に与えられた消息である。
ただ野呂の地はその後戦乱のために荒廃したので、記録もなくなって詳しい事情を知ることはできない。
ある説によると日合は道崇の孫に当るともいう。
ところで「久遠寺番帳」に表れる筑前公が日合であるとすると、この所伝には少々無理があるようである。
即ち日合は日興の系脈に属する僧であって、下総の檀越と結びつけるのは困難である。
後考をまつところである。
《『日本仏教人名辞典』「日合」の項》