妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

持仏堂

じぶつどう #2263

持仏堂

じぶつどう

本尊として信仰する像を安置しておく堂。
日蓮聖人が後年、建長五年(一二五三)四月の立教開宗を回想する遺文『清澄寺大衆中』に「安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして」(定一一三四頁)、また『聖人御難事』に「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして」(定一六七二頁)と「持仏堂」の南面にして法華信仰を説き始めたと記す。 但し、後者には「諸坊の持仏堂」とあるが、前者は「道善の房持仏堂」とあるのみで、この持仏堂は旧師道善房の持仏堂とも理解できるが、むしろ後者の遺文との関連から諸仏坊の持仏堂とも考えられる。
この「諸坊の持仏堂」とは、高木豊によれば「共同の持仏堂で、ここに聖人の持仏である釈尊像が安置してあった」とされる。 つまり聖人は自身の持を安置する、その堂の南面で開宗の第一声をあげたのである。 更に同氏は地頭東条景信が非法をおこなった聖人は「せいじゃうの起請をかいて、日蓮が御本尊の手にゆいつけていのりて、一年が内に両寺は東条が手をはなれ候しなり」(定一一三五頁)の本尊とは、この持ではなかったか、とする。
聖人の弟子、檀越のなかにも、こうした持仏堂をもつものがいた。 持仏堂は法華信仰生活を営む小規模なものであったが、聖人の檀越富木常忍の持仏堂が、若宮法華堂として、のち法華寺に発展していったように、平賀本土寺、比企谷妙本寺、藻原妙光寺なども、聖人在世の頃はいわゆる法華堂で、持仏堂法華堂として、のち寺院に発展していったものである。 そして聖人滅後、それぞれの名称が付せられ、その地における日蓮団弘通の拠点となった。
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、高木豊『日蓮とその門弟』、『遺文辞典』歴史篇「持仏堂」「諸」の項

← 事典トップ