妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

帯権

たいごん #1964

帯権

たいごん

「権を帯す」と読み、釈尊の一代教法の立場から論ずる場合には、方便たる仮のえをおびていることをいう。
例えば天台大師の『法華玄義』第二巻には相待妙と絶待妙の二妙が釈されている。
相待妙には爾前経の麁(そ)に待対して法華経の妙を顕されているが、その段に「満字は是れ不生不滅門にして能く満理に通じ、故に妙と名づく。能く満理に通ずるに復た二種あり、一に方便を帯して満理に通じ、二に直に満理を顕す。方等般若は方便を帯して満理に通じ、今経は直に満理を顕す」とあって、満字不生不滅門を三蔵教の半字生滅門に対して妙と規定し、その満字の中において、方便を帯する(帯権)教と、直ちに満字を顕す(直顕)教とを相待して、帯権を麁、直顕を妙となすを相待妙ということが説示される。
また相待妙において約教と約部の二義があるが、教に約すれば、蔵・通・別の三教は麁、円教は妙、部に約すれば華厳・阿含・方等・般若の四時の中に円があっても、それらはみな権を帯しているから麁であり、ひとり法華経のみ純円にして妙となすのである。
これは釈尊衆生を教化するために方便を設けられたのであって、の権智の用(はたら)きと見ることができる。
それ故に帯権とは、仏智における用権であり随他意と見なすことが出来よう。
《『遺文辞典』教学篇「帯権」の項》

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