崇峻天皇御書(二六二)
崇峻天皇御書(二六二)
すしゅんてんのうごしょ
一篇。
日蓮聖人著。
真蹟一〇紙断、身延曽存。
後人置題。
題名の由来は文中(定一三九五頁以下)崇峻天皇に関する物語りがあり、これによる。
また「同地獄鈔」ともいう。
文中(定一三九四頁)に四条金吾の竜口法難のときの誠心を謝してのち、もし殿が地獄に入るならば日蓮も「同地獄なるべし」とあり、これによる。
建治三年(一二七七)九月一一日、五六歳、身延より四条金吾へ賜わった書簡。
四条氏から白小袖一領、銭一結、柿、梨、なまひじき、乾ひじき等に富木常忍から預った書簡を添えて送られたのに対する返事で、長谷の自宅に蟄居中、九月に悪病が流行して主君の江馬入道も悪病に倒れ、病が長引くにつれて四条氏の治療が必要になったので、閉門謹慎中の四条氏を召出すことになった。
氏は早速身延の聖人へ事の次第を報じた。
聖人はそれに対して、殿の御身は危険なれば弟達を且くも身から放してはならぬぞ、また得意になって驕らぬこと、油断してはならぬ事を懇々と注意される。
例えば軽率に直ちに出仕してはならぬが、出仕して上の御所労の案配を問われれば、膝をかがめて手を合せて答えること、髪をもかかず、目立たない服装にてあれ、日暮れ朝がたの進退に注意すること、我家の妻戸の脇、板敷の下、天井に気を配ること等々。
それにつけても忘れ得ぬ事は「頸切られんとせし時、殿はとも(供)して馬の口に付て、なきかなしみ給しをば、いかなる世にか忘れなん。設い殿の罪ふかくして地獄に入給はば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給にも、用ひまいらせ候べからず。同地獄なるべし」(定一三九四頁)。世の中がつらいなどと人に向って嘆いてはならぬ。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり」。それよりは心の財を積み、鎌倉の人々からは流石四条金吾だと謳われるようになさい。
最後に第一秘蔵の物語をしよう。
三三代崇峻天皇は聖徳太子の伯父なり、殺害される相ありと太子に云われて、難を脱れるために忍波羅蜜を守っていたが、やがて破るようになった。或日、いのししの子を献上された。天皇は短刀をぬいていのししの眼を突差し、憎しと思う奴をこうしてやりたいと仰せられた。この事が蘇我馬子の耳に入り、馬子が放った二人の刺客に殺害されたという。
故に「思ふ事をばたやすく申さぬぞ」、孔子の九思一言の故事を思え。しかと聞きなさいよ、「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ」、よく考えてみなさいと。
数ある四条氏への御消息の中でも、四条氏の現状を慮った最も適切な教訓というべく、聖人の慈愛の横溢した名篇である。
《『日蓮聖人御遺文講義』一三、茂田井教亨『日蓮書簡に聞く』、『遺文辞典』歴史篇「崇峻天皇御書」の項》