尾張百部経布教
尾張百部経布教
おわりひゃくぶきょうふきょう
いまの愛知県尾張宗務所管区といわれる教区内の寺で、三月下旬から始まって四月下旬まで約一ヵ月にわたって営まれる百部経法会の際、開説される連続布教をさしていう。
百部経というのは、それぞれの寺の檀家が、先祖の追善供養のため、ある程度のまとまった浄財を寄付し、それを蓄積して基金となし、その利子を必要経費にあてて行う法要であって、大正から昭和にかけて尾張地区寺院のほとんどがこの行事に参加した。
檀家の多い寺では五日間、少ない寺でも二日間はつとめ、参加寺院の住職・修徒・沙弥が参集して、午前に上四巻、午後に下四巻と一部八巻の法華経を全読し、文字通り百部経読誦会を行った。
この法要のあと、招かれた布教師が連日登高座して説教を行った。
布教師を志す若い僧侶が前座をつとめるなどして、どの寺も聴聞の参詣であふれた。
後座の布教師は宗門知名の師が招かれて、約一ヵ月、次々と当番寺院に宿泊してつとめた。
この百部経会は一部経を全読するので、若い僧侶にとっては読誦の練磨には絶好の機会で、学校の休みの期間にあたる寺では、学生僧侶が多く練習かたがた出仕した。
また説教の場合、前座をつとめることによって、実際聴衆を前にして話の練習、話し方の勉強ができるので、その希望をもつ若い僧侶にはありがたい機会でもあった。
第二次世界大戦中、食糧、交通事情の困難によって、連続の開筵が難しくなり、日程も五日間が三日間に、三日間が一日にと短縮されるようになった。
なかなか復活が困難で、現在では一ヵ月の間に行われるというものの、休みの日があったりして、一人の布教師が滞在して全日程をつとめるということがなくなり、それぞれの寺で任意に布教師を依頼して布教しているというのが実情である。
法要も一部経の全読ということはほとんどなくなり、寺によっては、午後に法要、続いて説教という具合に時間を短縮して修行しているところもある。
しかし、登高座説教という伝統は受継がれ、どの寺にも説教用の高座が用意されている。