妙照寺(新潟県佐渡市)
妙照寺(新潟県佐渡市)
みょうしょうじ
日蓮宗霊跡寺院の一つ。
新潟県佐渡市に所在。
妙法華山と号す。
文永八年(一二七一)佐渡島に遠流の身となった日蓮聖人は、初め塚原の三昧堂にその居を構えさせられたが、翌九年の夏ころには、石田の郷一谷に移され、当地の名主の入道(一谷入道、またさわの入道ともいう)の宅に預けられた。
この一谷入道(一説に近藤伊予守清久という)は、阿弥陀堂を造り持つほどの熱心な念仏者であったが、流人日蓮聖人を日々に監視しているうちに次第に聖人に惹かれていったのであろうか、聖人や鎌倉より下って給仕をしていた弟子たちにも供養をするようになり、やがて夫妻そろって教えを信奉するようになっていったという。
聖人は文永十一年三月の赦免離島までの約二年間、この一谷で宗教生活を営み、『観心本尊抄』の述作、大曼荼羅本尊の図顕などを行っている。
こうしたことから日蓮聖人の離島後弟子の学乗房(一位阿闍梨日静)が、この一谷入道の阿弥陀堂を法華堂に改変したのがそもそも当寺の始まりではないかと考えられている(あるいは一谷入道の尼女房が法華堂を造って学乗房を主としたとする説もある)。
因に寺伝によれば創立を文永九年七月一四日、開山を日蓮聖人、開基を学乗房日静としている。
当寺はその後、火災に遭うなどして一時衰退していたが、江戸時代の中期当寺二六世に晋んだ日応の努力によって堂宇の再建・整備が行われ、日応はこれによって中興と称せられた。
この間当寺には、富士重須本門寺七世の日国が来島し一二世に列していたり、日興筆の本尊二幅(今は紛失)や消息一通が伝えられたりしており、富士門流と密接な関係にあったことが知られている。
現在建物は本堂・祖師堂・仁王門・庫裡などがあるが、その位置は在来の通りであるという。
付近には日朗坂・赦免石などの遺跡もある。
戦後は単立となったこともあるが、昭和三八年(一九六二)日蓮宗に復帰した。
《『日蓮聖人事蹟事典』(雄山閣)「新潟」の項》