妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

大永の規約

だいえいのきやく #1350

大永の規約

だいえいのきやく

大永二年(一五二二)一二月二四日に成立する。
寛正の盟約(一四六六)は、常不軽院日真(一四四四-一五二八)が一派を唱導した長享二年(一四八八)をもって崩壊するが、その七年後、明応五年(一四九六)六月二四日に一致方の妙覚寺、立本寺と勝劣方の本能寺、妙蓮寺、妙満寺が法義の論争で合戦にまで発展し、ようやく幕府の斡旋で事を収めたのであるが、この影響で僧侶だけでなく日蓮宗信仰の朝臣まで信仰を戒められ、また叡山ではこれを機会に日蓮宗を圧迫しようとする動きがあったので、日蓮宗ではこれに対処するため今までの無益な争いを止め、外侮を招かぬよう心掛けたのである。
このような情勢の中で、一致門流の方では妙本寺と本国寺の法嫡争いが公にまで及ばんとしたのであるが、大には至らなかったようである。
寺はこれまでに、身延山と正嫡を争い御譲状をもって勝利を得たと伝える。
この勝利の勢いで、先の応永一五年(一四〇八)本寺日伝が妙本寺を法敵と称し、妙本寺の衆徒より責められたのであるが、この屈辱をそそがんために争いを起そうとしたものであろうか。
そののち、両門学匠、長老たちは、日朗門下が互いに対立し自讃毀他することは日朗の遺志に背くものであると、また法嫡を定めるのは一宗広布の暁に帝前においてすべきものであって、その期の至るまでは異体同心の祖意を守り、日朗本所たる比企谷妙本寺に日朗が生きている気持をもって参詣し、隔執をすてるべきだと定めたのである。
この比企谷より長老蓮成院日如が上洛して両者斡旋調停し、比企谷中心の四条、六条両流の団結が成立したのである。
かくて、
   申し合す筋目の
一、朗師御法水の嫡流は一宗広布の砌を期し、帝前において相定めるべき
一、広宣流布の已前に於いては、住持職は御同位たるべき
一、妙本寺は朗公の御久住寺の上は、御存日の思いを成して門家真俗は参詣あるべき
   大永二年十二月 日 本
の誓書を両寺互いに取り交し、妙顕寺には本寺側の誓書が所蔵されている。
しかもなおかさねて関東・京都・各地の日朗門下に広宣流布の祖願に邁進することを誓い契約状を取り交したのである。

   一味契約状
そもそも異体同心の御素意に任せ、都鄙諸門流は内談を遂げ、法理一味の上は、真俗共に各挙一義の諍論を止どめ、無二の道意をもって毎事相い談ぜらるべきもの也、しかれば広宣流布の砌、いよいよ高祖大聖人已来御本意の遺付の旨を仰いで大導師を定むべき処也、仍って一通の状、件の如し。

   大永二年十二月 日
というもので、日如が妙顕寺に寄せた書状によれば一二月二四日の成立である。
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、『龍華秘書』『宗全』一九巻》

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