因分果分
因分果分
いんぶんかぶん
因の分斉(けじめ)(範囲)と果の分斉。
因分可説果分不可説といって、華厳教理の根本(大義門)をなす。
因分可説(=縁起因分)とは菩薩(=普賢因人)所了の境界は機縁に応じて教として説きうるし衆生もまた知りうるということ。
果分不可説(=性海果分)とは仏智の境界である真如の世界そのものは仏果を悟った身分でなければ知りえず衆生に説き表すことはできないということ。
『華厳十地品』に説かれ世親の『十地経論』巻二に証される。
即ち十地の説は不可説果分なる十地の義(義大)の一分を説く因分可説(説大)であるという。
従って法蔵は『探玄記』巻一〇で十地に離言(妙智)の果分と差別(方便)の因分とがあることを認めている。
日蓮聖人には『祈祷鈔』(定六七五頁)で伝教大師の『法華秀句』の無問自説果分勝の意をとり、妙覚の功徳を顕説しない法華以前の方便教を因分可説となし、法華経を唯一仏乗で果分の教であるとされる。
即ち法華経は果分顕発の経なのである。
《『遺文辞典』教学篇「因分」「果分」の項》