一瓢
一瓢
いっぴょう
境修成院日桓のことで、名を桓雅という。(一七七一-一八四〇)
知足坊・雪耕庵・橘中居・右之坊とも称し、和歌の上では如々の号も用いた。
俳僧として知られ、小林一茶・夏目成美らと親交があった。
一瓢は明和八年(一七七一)四月一三日に武州杉田(横浜市磯子区杉田)の川原彦兵衛の長男として生まれ、俗姓は清水一閑。
八歳で伊豆玉沢妙法華寺に入り得度し、文化年間の初期に浅草の本蔵寺から日暮里の本行寺へ移り、第二〇世住職となった。
文化一四年(一八一七)二月八日玉沢妙法華寺第四一世住職となったが、この間が一瓢の俳諧活動において、最も盛んな時期であったといわれている。
玉沢では諸堂を復興すると共に、文政四年(一八二一)には下総の日本講寺(現 日本寺)中村檀林の第二二二代化主となり、宗学研鑽も行った。
遺墨に「玉山人一瓢」と署名しているが、玉沢山人の意であると推察される。
また天保七年(一八三六)九月には、京都の本山本満寺第四八世の法灯を継承し、次いで翌八年七月には大本山妙顕寺四四世を継いでいる。
同一一年(一八四〇)七月七日、江戸本行寺へ戻り七〇歳で遷化している。数少ない本宗の俳僧の一人であった。
『法華富士山記』『物見塚記』『西歌仙』等の著作がある。
《南信一『俳僧一瓢の研究』》