諸宗同徳会盟
諸宗同徳会盟
しょしゅうどうとくかいめい
大政一新を目途とする明治政府の出現を契機として「三武の変」を想わせる廢仏毀釈の弾圧の嵐が全国的に繰り広げられる一方、“妖教潜伝邪教乱入”に等しき耶蘇教の進出もあって仏教界は大きな衝撃を受けるに至った。
この秋、憂宗護教の情熱と頽廃、無知、沈湎の僧風革新、邪教といわれた基督教排除のために各宗主要の人物が決起し、明治元年(一八六八)一二月八日京都興正寺に集合してその第一声を挙げ、名称を諸宗同徳会盟とし、伊予(愛媛)の大隆寺韜谷(臨済)を盟主に推戴して所期の実動に入った。
明治における各宗連合団体の最初のものである。
これより京都本圀寺(日蓮)等の各寺院に、また大阪天王寺等においても集会し、闢邪(へきじや)、護法の策を練ったが、翌二年四月二五日に至り、東京芝増上寺に総持寺奕堂等教界の重鎮、碩徳多く会同し、仏法不可斥論の著者岩槻浄国寺徹定(浄土)を盟主とした。
本門寺觸頭朗惺寺、谷中瑞輪寺等も加盟し、池上学寮に在った新居日薩もまた参画し、会盟と宗門寺院間の斡旋に努め「学寮」の名において卓抜なる革新的意見を建白した。
一名、東京会盟ともいわれたこの会盟は、同憂の志いずれも「鉾三百を以て刺さる」思をもって、当面する緊急課題を定めて論題とし、研鑽と実践に努力した。
即ち(一)王法仏法不離之論(二)邪教研窮毀斥之論(三)自宗教書研覈之論(四)三道鼎立練磨之論(五)自宗旧弊一洗之論(六)新規学校営繕之論(七)宗々人材登庸之論(八)諸宗民間教諭之論の八ヵ条であるが、別に超宗派の精神をもって和合協力、毎月並講義研覈、邪蘇教師と対決の場合を考慮し用意のこと、政府への建白原案は会盟の席に披露のこと、等々一三ヵ条の規則を定め、爾後、直ちに二本榎高野山掛所、承教寺(日蓮)、西本願寺等に参集し、盟員福田行誡、徹定等講師となり『闢邪集』のほか、各種の仏書について講釈が行われ、輪講輪読の実施など論題が着実に守られ、各宗連合校たる「諸宗総黌」の実現をみるに至った。
会盟はこの他、対政府への闢邪の嘆願、排仏不当、神儒仏三教の鼎立、護法勤王等に関する諸建白を提出して、政府機関に充満する打倒仏教の気運を緩和させたのみならず、一方、僧侶自体の覚醒や、人材登庸の急務を促し、法器養成の教育環境を各所に設ける結果を生むなど、会盟の総意による八ヵ条の論題は架空の議論懸案に帰することなく実現され、大法滅尽の様相を呈した仏教頽勢挽回の原動力となった。