井上日召
井上日召
いのうえにっしょう
(一八八六-一九六七)
群馬県の川場に生れ前橋中学校卒業後、東洋協会専門学校(のちの拓殖大学)に進むが中退して満州に渡った。
在満中は陸軍の牒報勤務に従事し第一革命に失敗後、大正一二年(一九二三)帰国、坐禅生活に入る。
翌年頃から種々の神秘的体験を経て日蓮信仰に接近、幼名・昭のヘンとツクリを離して日召と改名したが僧籍は有していない。
国柱会などの講習や日蓮主義出版物により学び、茨城県大洗に立正安国堂を建立し国家主義によって農村青年を指導中、漸次テロリズムによる武力革新に向う。
昭和六年(一九三一)の陸軍を中心とする一〇月革命未遂後、血盟団を結成し一人一殺主義を標榜して政財界の要人二〇名の暗殺を計画し実行した。
これに参加した海軍将校が昭和七年、五・一五事件を起し政党内閣時代に終止符を打ち、ファシズムへの道を開いた。
晩年にはまた禅へ復帰。
折伏的ラジカリズムを接点としての、日召と日蓮主義との出会いは終る。
著書に『井上日召伝』『日本精神に生きよ』がある。
《『国史大辞典』一巻「井上日召」の項》