祈祷取締規程
祈祷取締規程
きとうとりしまりきてい
明治一五年(一八八二)、内務省より通達された治病祈祷の規則に対し、同年七月一九日、宗務院から各府県本宗教導取締中に発布(甲等一一号達)された「修法規程」をいう。
明治政府は祈祷・禁厭(きんえん)(=悪災を防ぐ方法。
まじない)の弊害を除去しようとしばしば取締令を発した。
まず明治五年四月、大阪で巫覡(ふげき)(=神と人の感応を仲立ちする男)の取締りを行い、同六年一月一五日(教部省第二号達)には梓巫(あずさみこ)(=梓弓の弦を鳴らして死霊・生霊などを口寄せするみこ)・市子(いちこ)(=生・死霊を述べるみこ)・憑祈祷・狐下げ等の所業が禁止された。
また同年六月七日(教務省第二二号達)には「禁厭祈祷ヲ以テ医薬ヲ妨クル者取締ノ件」が出された。
これは人民の請求に応じ、従来の方式に従って執行することはさしつかえないが、往々そのために医療を不要としたり、湯薬を用いることを禁じたりして、不測の転機をもたらすことは甚だ不条理なことであり、国民の保健上もゆゆしいことであるから、そうしたことの起らないよう神道・仏教の各管長と各府県に令達されたものである。
以上のような取締令のなかにおいて、日蓮宗祈祷修法も次第に整備することを余儀無くされた。
明治九年に朝田日光は中山遠寿院の規則を改め、また同年五月八日には中山法華経寺住職河田日因(一八二六-九九)が、験修伝道・伝生・權中教正の名をもって『祈祷故事略旨』と、修験者の心得十説なる「行者十略説」を著し、管長新居日薩(一八三〇-八八)に献じた。
本書は翌一〇年一月に東京祈祷取締蔵版から出版され全国の修験者から読まれた。
一方、明治一五年七月一〇日、政府は再び病者治療中の者に対する祈祷は、時機を誤るような不条理がないよう、また祈祷の依頼を受けてもまず医師診断施療中の者に限り、湯薬の証明を知ってから行うべし。
という「禁厭祈祷ハ医師診断施療中ノ者ニ限ル件」(内務省乙第四二号達)が出された。
これに違反したものには一日以上、三日以下の拘留と罰金を科した。
ここにおいて日蓮宗は各府県本宗教導取締中と寺院に対し「医師施療中ノ者ニ眼リ其望ニ応ズべキ」である。
という「祈祷取締規程」を発布した。
またこれを実施するうえで、中央と地方に修験者取締りを強化していった。