妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

石川氏・石河氏

いしかわし #4247

石川氏・石河氏

いしかわし

日蓮聖人の直檀か、滅後六老日興の化により入信したのか詳かではない。 静岡県富士宮市北山、富士山本門寺を日興が建立したに、その寺域を寄進した一族で、北山の地頭である。
古来より日蓮聖人の富士方面の直檀は数多くあり、中でも高橋・由比・西山氏は河合系の、上野南条氏は新田・上野系の豪族であり、当然石川氏も上野氏同様に上野系の豪族である。
正応三年(一二九〇)一〇月、日興は身延山離山後、大石の原に庵(後の富士山大石寺)をむすんだ。 数年の後に北山の地頭石川孫三郎源能忠の請いによって重須の地に移り、永仁六年(一二九八)二月一五日、日蓮聖人御影堂・天照大神宮・本門寺根源の三堂を建立し、この年に『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』(『宗全』第二巻一一二頁)を書き留めている。 『本門寺棟札』(『宗全』第二巻一一一頁)には「国主被建此法之時三堂一時可造営也、願主白蓮阿闍梨日興花押、大施主 地頭石河孫三郎源能忠 大施主 南条七郎次郎平時光 合力小泉法華衆等 合力上野講衆中」とある。 『本門寺棟札』『本尊分与帳』共に日興の最も力を入れて残したものであるが、日蓮聖人在世中よりの大檀越上野南条氏と共に北山石川氏の名が、大施主として残されている事は、日興の並々ならぬ石川氏への教化の努力と、北山重須の地への希望、目標が如何に大きかったかが推測されるものであり「本門寺根源」の名や「重須談所」より伺える。
この石川孫三郎能忠は一説には石川兵衛入道の子で、能忠の母で兵衛の妻は南条兵衛七郎の女という。故に能忠の母の兄弟は七郎次郎光、新田五郎重綱夫人(日目の母)があり、光の孫に日道(大石寺四世)日行(同五世)がある。 石川氏と南条氏の血族の深さを知る一例でもある。
日興滅後、大石寺では法灯継承問題が日目の死と共に起こり、日郷は上野氏血縁の日道と袂を分ち、重須日代は河合の血縁で、石川氏とのが不和となり西山へ移るに至っている。
石川氏の所領の地域に日興が力を注いだが、その一族の名を残すに至っている実は大であろう。
《『遺文辞典』歴史篇「石河兵衛入道」の項、『日興門流上代典』「石河新兵衛入道道念」の項》

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