妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

永精寺(静岡県静岡市)

えいしょうじ #3720

永精寺(静岡県静岡市)

えいしょうじ

静岡県静岡市富士川町南松野の中心地、霊山富士を仰ぎ、三大急流富士川を望む景勝地にあり、創立当時、妙法山日蓮永寺と号し、本山実相寺は富士川を隔てて東方約五キロの方角である。
当山は六老僧日持が開山で、領主松野六郎左衛門行成が弘安六年(一二八三)に創立した。
松野は日持が出生し、実相寺に入る一四歳まで育成した地で、創立者行成とは兄弟の柄である。 日蓮聖人が入滅し、身延を下山した日持は、郷里松野を基盤に駿河一帯の伝道を開始したのである。
日持の人格は勿論、明哲な頭悩はあたかも場所を得たかと思われる勢いであったという。
日持が当山に住する十有余年、永仁三年(一二九五)元旦早朝、四六歳の時、わが国仏教界最初の海外伝道を志し、後を高弟日し単身にて出発した。 日持は、何故、海外伝道を志したかは諸説あろうが、いずれも聖人の御心「一四海、皆帰妙法」の精神を受継いだものであって、未だ教化されない東北方面を目指しての破荒な行動であった。
次に寺名を永精寺と改めた由は、約三〇〇年後の徳川康の時代、側室お万の方が宗門の強力な信者となり、駿河の国に六老僧の一人、日持の寺があるを知るや、当時戦の争乱を経て、由緒ある当山が荒廃しているのを嘆き、駿河城の近くへ移転したいと念願したのが、当山一一世日能の代である。 しかし、檀方は大いに反対し、寺が建立されている山ごと全部を移転するならば許すという条件を出して、決死の覚悟で哀願したという。 如何なるも実現できたであろう徳川でも、自然に具わる大地までは動かせず、山号・妙法山はそのままに、寺号・蓮永寺だけ移るになり、遂に元和年間(一六一五-二三)初期、蓮永寺は静岡市谷へ移転した。
栄枯盛衰はあったが、法燈連綿、三九代を連ねている。

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