松永貞徳
松永貞徳
まつながていとく
(一五七一-一六五三) 号は長頭丸、逍遊、明心、延陀丸。
安土桃山から江戸初期の俳人、歌人、歌学者である。
当時、有力な公家や武家の外護下にあった教団状況の中で、書画などの天才・本阿弥光悦、画家の長谷川等伯、俵屋宗達、狩野探幽などと並んで、その文芸技能を通じて信仰を表現し、本宗布教の伝幡を助けた点において特筆される。
貞徳は連歌師の子として京都に生れ、早熟の才に加え、幼少より九条植通、里村紹己、細川幽斉らの良師を得、二〇歳の頃、豊臣秀吉の佑筆となったが、豊臣氏の没落後は市井の文化人として立ち、以後五〇年、和歌、歌学を新興の庶民層に教え、子弟の教育に従った。
三〇〇〇首を超える大歌集『逍遊愚抄』、歌語辞典に『歌林撲樕(かりんぼくそく)』、狂歌集に『百首狂歌』があり、また俳譜を文芸の一つのジャンルとして確立させ、その流派を貞門といい、貞徳編の貞門三部書として『新犬筑波集』『御傘(ごさん)』『紅梅千句』がある。
《宮崎英修『日蓮宗の人びと』、『国史大辞典』一三巻「松永貞徳」の項》