妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

俵屋宗達

たわらやそうたつ #654

俵屋宗達

たわらやそうたつ

(生没年未詳)
、慶長―寛永期(一五九六-一六四四)、京都において活躍。
宗達の伝記はほとんど知られていない。
いくつかの断片的な史料がみられるばかりである。
それらは千利休の次男(利休の後妻のつれ子)の千少庵と交際のあったこと、寛永年(一六二四-四四)に法橋の位にあったこと、俵屋は絵に関する商屋であって俵屋絵や俵屋のが京都で喜ばれていたこと、本阿弥光悦と茶の交遊のあったこと、朝廷の絵の御用を務めたこと、などを伝えている。
ただし菅原氏松田本阿弥図にいう本阿弥光刹の娘が俵屋宗達の室という記述(従って宗達と光悦は義の従兄弟)は、種々の点から疑問視されている。宗達と光悦の妻女の姉妹説は認められていない。
なお光悦の側の史料『本阿弥行状記』『鷹峰光悦町古図』にも宗達の名はみられない。
史料による吟味とは別に作品から宗達を把握する立場もある。
それによれば、厳島神社の平家納経中、修補の表紙・見返絵の一部、養源院「松図襖絵」一二面、アメリカ・フリア美術館「松島図屏風」六曲一双、静嘉堂文庫「関屋・澪標図屏風」六曲一双、三宝院「舞楽図屏風」二曲一双、建仁寺「風神雷神図屏風」二曲一双などは宗達の作とされ、それらの画風の検討からさかのぼって、光悦の書の下絵(主として絵巻形式)や嵯峨本の版下絵などが宗達の作であることが明らかにされつつある。
宗達と日蓮宗との関連は詳らかでない。
熱心な法華信者であった光悦と書・画の協力関係にあったらしいこと、宗達作の「牛図」双幅が本宗の由緒寺院頂妙寺に所蔵されること、などから推測するほかはない。
《宮崎英修『続・日蓮宗の人びと』、『国史大辞典』九巻「俵屋宗達」の項》

← 事典トップ