妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

本尊治罰

ほんぞんちばつ #3395

本尊治罰

ほんぞんちばつ

祈祷本尊を責めて怖畏の心を起さしめ、その効験を顕著ならしめる祈りで、聖人は『諫暁八幡抄』に『蘇悉地経』の「本尊を治すること鬼魅を治するが如し」という文を引き、所願を成ぜんため「本尊を或はしばり或は打ちなんどせよととかれ」(定一八八四頁)ている。
聖人が竜口刑場におもむく途次、鶴岡八幡宮の前において、八幡大菩薩はまことの神か、今日蓮は法華経の故に頸をはねられんとしている。
菩薩、もし法華経の行者日蓮を守護し給わずば大妄語の神として釈迦仏の罰を蒙り給うであろう「日蓮今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時はまず天照大神、正八幡こそ起請を用いぬ神にて候けれと、さしきりて教主釈尊に申上げ候はんずるぞ、いたしとおぼさばいそぎいそぎ御計いあるべし」(『種種御振舞御書』定九六六頁)と叱咤したという、いわゆる「社頭諫言」は正しく本尊治罰の形である。
また弘安五年(一二八二)二月、大檀那である南条時光(当時三九歳)が大病を患い命旦夕にせまったとき、聖人は為に祈り護苻を授け、時光を悩ましている鬼神に対し『法華証明鈔』を著して、早くこの人を守って病気を治し、その功によって鬼道の大苦を抜済せよ、「もしその義なくして現在には頭破七分の科に行はれ、後生には大無間地獄に堕」ちるか「日蓮が言をいやしみて後悔あるべし」(定一九一二頁)と厳呵を加えている。
これによってか光の大病は快癒し、元弘二年(一三三三)五月、九〇歳の長寿をもって没したのである。
江戸初期、日蓮宗から天台宗へ改宗したかの舜統院真迢が、中山法華経寺の祈祷を見「不動の木形(木像)をさかさまに立て、十羅刹女を柱にしばりつけなんどして僅かの小怨を呪咀すること眼前に見たり」(『禁断日蓮義』一ノ二一)とのべているが、これらは本尊治罰祈祷法である。
各地に石地蔵を繩でしばったり、水につけたり、首をはずしたりして願をかけ、願が叶えばもと通りにするという風習があるが、これは本尊治罰の祈祷が民間の土俗信仰に融けこんだものであろう。
《宮崎英修『日蓮宗の守護神』》

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