妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

末法相応本化所立之法華宗法門之条々

まっぽうそうおうほんげしょりゅうのほっけしゅうほうもんのじょうじょう #3328

末法相応本化所立之法華宗法門之条々

まっぽうそうおうほんげしょりゅうのほっけしゅうほうもんのじょうじょう

仏性院日奥(一五六五-一六三〇)記。
文禄四年(一五九五)一一月一三日。
万代亀鏡録』上巻所収。
日奥が豊臣秀吉に献上した諫状。
家大綱之掟」「於仏有縁無縁」「仏法有権教実教差別事」「宗号之事」「当宗相承事」「法華宗可居諸宗之頂上事」「法華宗不親近謗法」の七箇条よりなる。
秀吉は文禄四年九月二五日、大方広寺において八宗の僧を集め、千僧供養会を修せんとした。
九月一〇日付の招請状は一二日に法華宗に到来した。
宗内では摂受的な関西学派の出仕承諾説と、折伏的な関東学派の不出仕説に分かれて論議が起った。
日奥は不受を説いて不出仕を主張し、『法華宗諫状』を秀吉に呈し(文禄四年九月二五日)て妙覚寺を退出した。
日重を中心とする出仕派は九月二五日からの供養会に参会したが、浄土宗側では席次の変更を上申し、第五浄土宗、第六法華宗と決定された。
鶏冠井にあってこれを聞いた日奥は、本状を撰して法華経の最勝とこれを依経とする法華宗の超勝を説き、諸宗の謗法を止めて法華一宗に帰すべき旨を主張したのである。

← 事典トップ