末寺御仕置
末寺御仕置
まつじおしおき
公権力によって、本末関係における本寺違背の末寺を処分することをいう。
日蓮宗の場合とくに身池対論以来、不受不施派と受不施派との対立が激しく、江戸幕府が意図した本末関係の秩序が保たれず、身延山久遠寺を頂点とする本末関係は流動的であった。
だが寛文元年(一六六一)八月二七日に幕府は身延の勢力下にある池上本門寺、中山法華経寺、茂原藻原寺、玉沢妙法華寺、京都本国寺、同妙覚寺の六本寺の末寺に対して、身池対論以来本寺に違背している寺院は、それぞれの本寺に帰伏し、寛永九-一〇年(一六三二-三三)書き上げの本末帳にのっとり、本末秩序を遵守することを命じている。
身延側ではこれを末寺御仕置、末寺返しのお仕置と評価し、幕府権力の身延派公認を確認している。
かくして寛文五年には、身延では勢力下にある寺院に対し不受不施派にあらざる旨の誓状の提出を命じているのである。
《宮崎英修『不受不施派の源流と展開』、同『禁制不受不施派の研究』》