妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日達(大乗院)

にったつ #3134

日達(大乗院)

にったつ

(一五八六-一六六一)
大乗院と号す。
備前の生れ。
師を聞法院日会といい、父を大雄院常清という。
その不受僧としての足跡を見ると、寛永七年(一六三〇)の身池対論後流罪となった中山日賢・平賀日弘・小西日領・中村日充・碑文谷日進・池上日樹の諸師をそれぞれ遠江、横須賀、伊豆戸田、奥州相馬・岩城、信州上田・伊奈に慰問し、日達は各師より夫々曼荼羅本尊を授けられ、当不受派の統帥者として知られた日遵はその下に裾書して日達の行為をしている。
しかしながら取分けて日達の功績を称えるならば、数所の精舎を建立したことであろう。
江戸三田大乗寺・飯倉一乗寺・青山梅嶺寺・目黒大教寺・佐渡妙輪寺など新寺九ヵ寺を建立、鎌倉薬王寺・泉州堺経王寺など古跡三ヵ寺を再興している。
今はその具体例として経王寺をみるに、当寺は永享元年(一四二九)京都妙覚寺九世大聖院日延の草創であるが、いわゆる大坂夏の陣の際、山内残らず類火に遭い以後三五年、日達の来る慶安二年(一六四九)まで退転に及んだのである。
そこで日達は「古跡の破壊見聞に忍ず加程の霊場滅絶せんことを難き」これが再興を安芸守の簾中、不受派の同情者として知られた自昌院にうたのである。
夫人はその願を入れ同五年経王寺は新寺の如くに再建され、これがために日達は経王寺九世中興となっているのである。
さて日達と自昌院との通用は、安芸前寺の場合にも見ることができる。
自昌院は明暦二年(一六五六)二〇世日勝の前寺を菩提所に定めるのであるが、日達は当寺の一八世を歴任しており、夫人が国前寺を菩提所に定めるに際しては、その前駆的役割を果しているといえよう。
前寺記』には日達のことを「縁由あって当山の歴代に列ぬ之に依て任官の口宣並びに法財世具の寄附多し」と記しており、国前寺の末寺の中、一乗寺・大教寺・法雲寺・薬王寺などその多くは日達の開山もしくは日達に関係ある寺であり、同寺における日達の占める地位が如何に大きいかを物語っている。

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