日蓮(武者小路実篤・戯曲)
日蓮(武者小路実篤・戯曲)
にちれん
武者小路実篤の書いた戯曲。
昭和五年(一九三〇)五月、明治座にて左団次、友右衛門、猿之助、寿美蔵等によって上演された。
第一幕一場・辻説法、第二場・松葉谷の草庵、第三場・岡の上。
第二幕第一場・松葉谷の草庵、第二場・同じ場、第三場・沖の俎岩、第四場・小松原の遭難。
第三幕第一場・松葉谷の草庵、第二場・同じ場、第三場・八幡宮社前、第四場・龍ノ口。
三幕十場。
日蓮聖人における「人物の強さ」を人間味あふれた姿として表現した点に特徴がある。
日蓮聖人を「嵐のような男」「噴火山のような男」「何ものも恐れない男」といい、腹も立つが「あれでなければいけない」とも述べて真理に対する勇気と決心に尊敬の念をあらわした。
また、自然と人類の意志との調和を求めた自らの人生観に照らして、日蓮聖人の唱える南無妙法蓮華経を「宇宙の仏性と調和してゆく法華経の根本精神」として捉え、そこに内からあふれる強い力が生れるとも指摘した。
特に、死ぬまで生きぬく求道的な楽天家としての立場から日蓮聖人の生き方に本当の勇気を発見し、真理のために生きぬくことが真の幸福に向うことであり、生死をこえた世界を獲得することだと主張した。
そこで日蓮聖人が迫害をうけている時のセリフとして、
「私だって死にたくはない。だが死を恐れはしない。そして生きている方がいい間は生きているだろう。」
「私は今こそ生死を越えた世界のあることを本当に知ったぞ。釈迦牟尼のおっしゃったことが本当だと云うことを知った。
ただ無上道を惜しめばいいことがわかったぞ。ありがたい、ありがたい。」
と示している。
更に、この世が仏国になれば釈迦に愛され、何ものも恐れることなく心うれしく暮らすことができる、宇宙に充満する仏の加護を与え味方をしてくれるのだから、何ものも日蓮を征服することはできない、とも日蓮聖人の信念を表現している。
これは、おのずと元気で心楽しいのは何かの加護があるからだと書いた小説『馬鹿一』の内容に軌を同じくするものではあるが、ひたすら法華経の真理のために身を献げたところに「何ものも恐れる必要のない底力」と法華経的楽天主義が生れる点を明らかにしているということができる。