日相(久成院)
日相(久成院)
にっそう
(一六三五-一七一八)
字は是心、久成院と号す。
尾張黒田法蓮寺第一三世。
尾張(愛知県)に生まれ、九歳にして尾張黒田法蓮寺日近について出家。
得度名は教円。
一三歳で師僧に死別後、法蓮寺日通に養育され、京都山科檀林に学ぶ。
時の化主で、のち身延山第三〇世の寂遠院日通の弟子となり、この時、是心日明と名のる。
明暦二年(一六五六)岐阜長照寺の住職となり、儒学者宗悦に交わり、また歌道を華山に学ぶ。
万治三年(一六六〇)二五歳で黒田法蓮寺に住職し、名を久成院日相と改める。
法蓮寺に住職すること約二〇年、この間、日蓮宗を批判した黄檗宗道海の『霧海指南』に対しては、『己心北斗興起』(寛文一三年刊)をもって破し、延宝九年(一六八一)には『御書和語式』を刊行し、貞享五年(一六八八)には法華信仰を勧奨した教化書『法華勧愚抄』を刊行するなど、多彩な文筆活動を展開。
元禄二年(一六八九)法蓮寺を隠退したが『法華音義補闕』、『日相版法華経』の法華関係書を著し、享保三年一〇月一七日、八四歳をもって示寂。
また最初の刊本御書である慶長版『御書五大部百部摺本』を改めて書写しているが、刊本が一部しか現存しない今日、貴重な書誌的史料となっている。
《宮崎英修『日蓮宗徒群像』、『日本仏教人名辞典』「日相」の項》