日厳(日厳尼)
日厳(日厳尼)
にちごん
(生没年未詳)
日厳尼といい、日蓮聖人の檀越。駿州富士宮市在住の人か。
『本化別頭仏祖統紀』は「日厳優婆夷者駿州富士郡高橋入道の妻也」としているが、建治二年(一二七六)二月の曼荼羅(尼崎市本興寺所蔵)にある白蓮日興の添書に「富士西山河合入道女子高橋六郎兵衛入道後家尼持妙尼」とあり、また日興の『本尊分与帳」には「高橋六郎兵衛入道の後家尼者日興の叔母也」と記すこと等より日厳が高橋六郎入道の妻とする説は首肯しがたい。
『高祖年譜攷異』も『本別頭仏祖統紀』の所説に対して疑いを投じている。
弘安三年(一二八〇)一一月八日日厳より聖人に立願の願書と「布施の銭一貫文、又たふかたびら(太布帷子)一」つが送られ、同二九日聖人は『日厳尼御前御返事』を書き送った。
これより先、弘安三年卯月に曼荼羅(京都妙顕寺所蔵)が授与されている。
平成一六年、この弘安三年四月染筆、妙顕寺蔵曼荼羅の修補作業によってその紙背から人名「持妙女之」が発見された。
表の授与書「尼日厳授与之」の人物は別名「持妙」という女性であるとのいわば念書である。
つまり高橋入道の妻は日厳尼であり、持妙尼である、という日興の添書および『本化別頭仏祖統紀』の説は正しものであったことの証言、それが紙背に書かれていた日蓮聖人自筆の念書であった。
よって『本化別頭仏祖統紀』説への疑問視は間違いであり、また『本化別頭仏祖統紀』説を不審した年譜攷異も誤ったのであった。
以上、新出資料によって追記した。
また、弘安三年一一月二九日状『日厳尼御前御返事』の対告者「日厳尼」と新出資料による高橋入道妻=持妙尼=日厳尼との同異が問題である。
《『遺文辞典』歴史篇「日厳」の項、『昭和新修』別巻「日厳尼」の項》\\