妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日了(勧行院)

にちりょう #2416

日了(勧行院)

にちりょう

(一四五〇-一五一〇)
勧行院と号す。
摂津尼崎長遠寺(本末寺)から、明応七年(一四九八)一一月三日本国寺へ晋み、先代大聖院日堯は長遠寺に隠居。
共に花山院政長の猶子といわれる。
文亀元年(一五〇一)五月二四日夜、細川政元の招請により浄土宗の団誉玉翁と薬師寺元長の館で宗論を行い、日了は団誉を論伏する。団誉は京都五条寺町本覚寺の開山である。
宗論後二年足らずにして日了に対して僧正任官の申請がなされ、政、花山院の斡旋により権僧正に任ぜられる。
またこの頃、太田道灌は武州豊嶋城の照、八幡両社を本寺に移し、松永久秀三光堂を建立する。
道灌の子法恩斉資康の弟法性院日遵(-一五二一)は花山院家の猶子となり、日了の後をうけて永正三年(一五〇六)一一月一九日の付法で本寺一二世となる。
その四年後日了は八月二八日寿六一歳で示寂。
《宮崎英修『続・日蓮宗の人びと』、『日本仏人名辞典』「日了」の項》

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