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細川政元

ほそかわまさもと #4432

細川政元

ほそかわまさもと

(一四六六-一五〇七)
日蓮宗の熱心な信徒。
細川勝元の子で、聰明九郎、右京大夫といい、従四位下の位。
文明一八年(一四八六)管領職となり武蔵守に任じたが、翌日上表して職を辞したという。
永正四年六月二二日臣の戸倉某に弑せられている。
雲関宗興大心院と号す。
政元の日蓮宗との関わりを見ると、文亀元年(一五〇一)五月二四日夜、本国寺日了と浄土宗の団誉玉翁とを薬師寺元長の館に召して宗論させた。
この結果日了が勝利を得、二八日には政元は本寺へ赴いて受法したのである。
その後、文亀三年(一五〇三)本寺日了極官の件について政元らが奏請したことによって、同年三月九日付で日了は権僧正に任ぜられた。
この政元の帰依は当時の公卿、武家の間に多くの帰依者を得たことの一例であって、室町時代中期の京都市民の半分は法華宗であったといわれ、文明より明応(一四七〇-一五〇〇頃)にかけては法華宗寺院は京中に充満していたのである。
《『史大辞典』一二巻「細川政元」の項》

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