川施餓鬼
川施餓鬼
かわせがき
水死または溺死した人の冥福を祈るために、川で行う施餓鬼供養をいう。
近年では必ずしも水死・溺死者の霊に限らず、魚鳥に至るまで、有縁無縁法界の万霊の冥福を祈って行われている。
またこの時、施主等に対して現当二世の円満なることを祈って修法することがある。
これをもって川加持とも称されている。
一般に川施餓鬼は、川に舟を漕ぎ出して塔婆を水中に立てて回向し、この時また、経木や紙に死者の法号を書き川に投げ入れて流す。
場合によっては、川辺に壇を築いて行われることもある。
通例は夏、盆の頃に行われている。
これは『諸施餓鬼飲食及水法』に「若し加持飲食陀羅尼を以て、一器の浄食を以て浄流水中に写さば、能く一切の婆羅門仙をして、皆此の食を得しめん」とあるのに基づくものとされる。
しかし梁の宝誌禅師による水陸会と施餓鬼法、盂蘭盆会とが習合したものと思われる。
この水陸会(すいりくえ)は施餓鬼の一種といえるもので、梁の武帝に始められたといわれている。
水にまたは陸上に飲食物を投じて、死者を慰める儀式である。
古くは二間余りもある魂棚を造り構えて、四方に竹を立て、菰・筵を敷き、菰縄を四方に張り、白茄子・赤茄子等をつり、素麺をかけ、正面に有縁・無縁の位牌をならべ、西瓜・桃などの時季の水菓子、精進の供饌をなすなどして、その前に僧が座して読経し夜の明けるまで勤めをした時代もあった。
明治頃の川施餓鬼は、場所は大体、大川筋と定まっていた様で、各寺がそれぞれ日を変えて行っていた。
随分派手な行事となり、中には船上で酒宴を開くという陽気なものもあった。
『東京年中行事』によると、明治四四年(一九一一)には七月二二日善光寺(小石川表町)が主催して日清・日露の戦死者、水没者の追善供養の名のもとに、中洲河岸で川施餓鬼が行われている。