客末
客末
きゃくまつ
本末関係の成立の過程において、本寺と同等の格式由緒を誇る寺院を、上下関係の秩序をあてはめる際、ただ単に末寺とせず「客末」という特別の格式を与え、自門内の中本寺格として措置した寺院のことである。
日蓮宗では、身延山久遠寺九世日学が永享四年(一四三二)に駿河国庵原郡内房(静岡県富士宮市内房)の本成寺を身延の「客末」としているのが初見である。
江戸時代に至って、江戸幕府の宗教統制は、寺院勢力に対して巧みに上下の格式のある秩序統制を要求した。
いわゆる本末関係の把握である。
この動きは、寛永の本末帳書き上げによって具体化する。
これは、本寺に自己の末寺を書き上げさせ、幕府が公認する形をとっている。
内房の本成寺の事例のように、早くから身延の客末として特別の格式を認められた寺院はよいが、それ以外で身延に異論を唱える末寺では、離反、独立の態度を示す寺院もある。
いわゆる本末論争である。
しかし一旦決定した本末関係を簡単に変えることは、寺院統制の基本である本末秩序を保てなくなることから、結局は異論を唱える有力末寺を客末という特別の格式の寺格として公認し、他の末寺とは異なる本寺格に準じる別格の寺院として取扱うこととなる。
客末は隠居寺という言い方もある。
当然のことながら、客末は独自の支配末寺をもち、また座配も本寺の次席を占め、本寺とほぼ同等の処遇を与えられることが多い。
《坂本勝成「隠居寺考」『日本宗教史論集』下、立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上》