妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

奠師法類

でんしほうるい #1420

奠師法類

でんしほうるい

妙心院日奠(一六〇一-一六六七)を開祖とする法類
中村檀林西法眷(西谷)に日奠の学徳を慕う学徒によって形成された。
開祖の日奠は心性院日遠に投じ、日遠示寂後は中正院日護に師した。
中村檀林西法眷(西谷)の顕是院日要の観月庵に学び、学すすんで首座に昇る。
この頃、不受不施義をめぐる争いは終局せず、第八世化主通心院日境に反対して、中村檀林より去る学徒が多かった。
日奠は法弟隆源院日莚と協力して化主日境を助け、残った学従二〇余名と檀林を守り、その復興に全力を傾むけた。
次いで同檀林玄院第三世として『法華玄義』を講じ、慶安元年(一六四八)日境が身延山第二七世として晋むや、四六歳にして中村檀林第九世化主となる。
のち能登滝谷妙成寺に晋んでは、その経営に尽して中興の祖と仰がれ、万治三年(一六六〇)には日境の遺嘱をうけて身延山第二八世として入山した。
日奠の弟子、興遠院日邃は滝谷妙成寺に晋み、その弟子信解院日従は、中村檀林三五世化主ののち京都妙覚寺・本国寺に晋み、同じく妙具院日体も中村檀林四六世化主ののち、平賀本土寺・京都妙覚寺に晋んだ。
更に、その門下も京都妙顕寺・妙覚寺に晋み、かくて日奠の学徳を慕うこれら多くの学徒によって形成された奠師法類は、平賀本土寺・京都妙覚寺を法類所属の縁寺とし、京都妙顕寺・本国寺を出世寺として本山住持権を確保した。
そして同じく中村檀林西法眷(西谷)に形成された日奠の法弟、隆源院日莚を開祖とする莚師法類と共に、一大勢力を持つにいたった。

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