天照太神
天照太神
てんしょうだいじん
正式には「あまてらすおおみかみ」と訓ず。
天照大御神・天照大日孁尊・大日孁貴・天照坐皇大神・天照意保比流売命とも記す。
また天照神とも略称する。
伊弉諾尊の女で、太陽を神格化した女神。
『古事記』『日本書紀』では高天原の主神で、皇室の祖神とされている。
大和朝廷により伊勢皇大神宮(内宮)に祭られた。
日蓮聖人はこの天照太神に特別な感慨をもっていた、それは聖人の生れた安房国(千葉県)長狭郡東条に、源頼朝によって伊勢神宮の御くりや(食物を献上する神社の所領)がつくられていたからで、この故郷を誇りに思っていた様子が窺える。
即ち「安房国長狭郡之内東條の郷、今は郡也。天照太神の御くりや(廚)、右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや、今は日本第一なり」(定一六七二頁)と述べている点である。
一方、生地と御くりやとの関係をもって、聖人の天照太神への親近感と神祇観の基盤を見出そうとする考え方に対し、天照太神・八幡大菩薩の二神が本来の栖である伊勢・山城を去って東国に栖み、東国武家社会の守護神・氏神とされていた、という見方もある。
いずれにしても聖人は、日本国の諸神も皆法華経の説法に列なり、法華経の行者の守護を誓約したとみて、諸神の筆頭たる天照・八幡の二神を法華経の守護神として尊崇している。
従って、聖人の書かれた大曼荼羅(一二五幅図顕のうち、九七幅に二神が勧請。一二五幅の数値についてはその後の新発見により変更される)にも日本の諸神を代表して勧請され、天照太神を法華経の守護神と位置づけたのである。
《『遺文辞典』歴史篇「天照大神・天照太神(あまてらすおおみかみ)」の項、『日蓮辞典』「天照大神(てんしょうだいじん)」の項、『国史大辞典』一巻「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の項》