大師号の宣下
大師号の宣下
だいしごうのせんげ
大正一一年(一九二二)一〇月一三日、日蓮宗・日蓮正宗・顕本法華宗・本門宗・本門法華宗・法華宗・本妙法華宗・不受不施派・不受不施講門派の日蓮門下九派の請願に基づき、日蓮聖人に対する立正大師と称する大師号が天皇より宣下されたこと。
同年九月一一日、日蓮門下各派管長及び日蓮聖人崇敬者一一名は文部大臣を通じて宮内大臣牧野伸顕に大師号降賜を請願し、国民善導の先覚者であり勤王愛国の士として立正の主張と勤王の大義を絶叫した日蓮聖人に大師号を宣下することは、国民善導上の効果と国民思想の健全化と警醒に役立てる意味からも必要であると述べた。
宮内省は大師号宣下を中心となって推進している顕本法華宗管長本多日生を通して大師号を宣下し、本多日生は各派の代表者及び崇敬者と共に奉戴式をあげ、日本国家が法華経を公認した皇恩を体して立正の祖道を輝やかせ八紘一宇の皇国翼賛に努めることを力説した。
日蓮宗も天皇の深い思召から出た大師号宣下の聖旨にこたえる宗門活動に取組むことを明らかにし「畏きかなや天皇の/宣らしたまえる大み号を/千代に八千代に君が代の/瑞徴としていざさらば/万年までも讃へてむ/ああ吾が聖祖わが大師」という「勅諡立正大師奉讃歌」をうたいあげ本多日生は「文応之提唱今天子の声より出づ」と賛えた。
大師号宣下は、日蓮門下各派の統合を目標に請願されたことを特質としている。
更に、宮内大臣が思想善導の思召をもって裁可を受けたと述べたごとく、日蓮聖人と日蓮門下教団の国民に対する感化力を活用して反国体の思想に対抗せしめていく政策として大師号は宣下された。
大師号宣下は他教団に比べて日蓮門下は遅れ、第一一番目に当っていたが、この実現を契機に皇恩奉答体制が形成されていった。
《『立正大師奉戴記事』(本多日生上人顕彰会)、『勅諡立正大師』(日蓮宗宗務院)》